2018年2月4日日曜日

コンピュータと電子ネット

コンピュータと電子ネット

パソコンとインターネットの発達について、私は大変肯定的であす。
そもそも組織というものは企業に見られるような社長を頂点にしたピラミッドであってはいけないのです。
そのような組織は硬直し、マイナスの情報がトップにまで届かない。
最近警察の不祥事がよく報道されますが、あれなどは最近増えたのではなく、ようやく明らかにされるようになっただけなのでしょう。
どうしてかはわかりませんが、インターネットの普及と歩をあわせたように発覚するようになったのは面白い現象打と感じます。
また、インターネットの掲示板やオークション、メーリングリストなどは大変おもしろいもので、ついついはまってしまいます。
掲示板への書き込みをきっかけに結婚することになったカップルを知っていますし、出会いの場を提供するサイトも多い。
 どうやらインターネットは霊磁力をスムーズに流す力を持っているようです。

自家用車


消防士など、火を相手に仕事をしている人は、火にあたかも人格があるように話します。
同じように、自動車を扱っている人もそれを感じるらしいのです。
長いつきあいの友人で、輸入車ディーラーのサービスをしている人がいます。
彼曰く、「自動車は生きていますよ。あまりかまってやったりできないと、すねてみたり、かわいがってやると甘えたり・・・」
 車で出かけるとき、時間に余裕があれば、知らない場所に行くのにわざと地図を見ないで運転することがあります。
前を走っていたり、横から入ってきたりする車を運転しているのが友人だと思えば安全運転になります。
それだけでなく、何となく私に信号を送ってきたりしているようなのです。それで前の車についていく。
交差点で左折可の表示が見える。その方向に曲がる。
そんな調子で走っていくと、意外にも早く目的地に着いたりします。大事にしている車が案内してくれるのです。
私はこれを、霊磁力のナビゲーターと呼んでいます。

便利な世の中

便利な世の中

2000年12月30日の日経新聞ーNIKKEIプラス1を開いてみました。
20世紀これが暮らしを変えた ランキングを見てみますと
1 コンビニエンスストア
2 携帯電話・PHS・ポケベル
3 電子ネット
4 テレビ
5 コンピューター
6 電子レンジ
7 テレビゲーム
8 自家用車
9 クレジットカード
10 ファストフード
 いかがでしょう。すべて、便利な物だし、ほとんど家にある、あるいは利用している物です。
1のコンビニなど、24時間年中無休であいているので、私が学生時代のように帰郷しなかった下宿生が飢えに苦しんだりしなくて済む便利な物の筆頭です。
しかし、便利であるだけで済んでいるでしょうか。次からこのあたりを見ていきましょう。
 

コンビニエンスストア


 コンビニは今や無くてはならない物だと思っている人が多いでしょう。
しかし、一方で膨大な無駄を生み出しています。
小口配送が前提なので、日本中をおびただしい数のコンビニ流通トラックが走っていることになります。
これは宅配便にも通じる物です。
最近スキーに行く人は皆、手ぶらです。かさばる板やスキー靴は宅配で送る。
この、新しく発生した個別流通の無駄は恐ろしい物があります。
ガソリンが無駄に使われ、排気ガスがまき散らされ、地球が温暖化するのをあおっているのです。
 話をコンビニに戻しますが、コンビニの代表的商品である弁当、賞味期限が過ぎるとすぐ捨ててしまうのを皆さん、ご存じでしょう。
その量たるや、日本中あわせれば膨大な物になります。
そのうちの一部でも海外の貧しい人たちに分けてあげればどれだけすばらしいことかとおもわずにいられません。
また、24時間開けていることによる電気代も馬鹿になりません。
便利さが大いなる無駄を生み出す代表がコンビニエンスストアなのです。

携帯電話・PHS・ポケベル


ポケベルはもう、衰退してしまったので、携帯電話にしぼって(PHSも含めて)見てみます。
心臓ペースメーカーを狂わすとか、航空機の計器に支障をきたすとか、電車内で大声で話されて迷惑だとかはよく聞きます。
だが、もっとも問題なのは膨大な電波が飛び交うことによって、霊磁力の流れが妨げられることだと私は思っています。
電波は霊磁力の±の繭ににているからです。
それだけではありません。
遠く離れていても、特定の人と24時間話せることが、集団の中での孤立を生み、見知らぬ人とのコミュニケーションをとることを妨げます。
メール機能の付いた携帯などを持つと、一日中メールのやりとりをし続けることになります。
最近の大学では、学生が携帯をいじってばかりいるので授業にならないらしい。
この機械も、便利なだけではなく、深刻な問題を生みだしているといえるでしょう。

テレビ、テレビゲーム


私はこれに、ビデオも含めるべきだと思いますが、もしあなたが自分の子供を非創造的な人物に育って欲しいと考えているなら、簡単です。
一日中テレビ、テレビゲーム、ビデオ漬けにすればいい。
 人間には(実は万物には)想像力が備わっているます。
それが、耳と目から情報が同時に入ってきたときにはその力が損なわれるのです。
そして、もしその情報が悪意や暴力に満ちた物である場合は最悪です。
猟奇殺人の犯人の部屋からホラー映画のビデオが大量に見つかることはよく知られます。
彼らは悪意と暴力の霊磁力に体中染まっています。
仮想現実、バーチャルリアリティという言葉が流行りましたが、できれば子供達は外で遊ばせてあげるようにし、家にいるときは親とコミュニケーションをとったり、読書をして想像力を培ってあげるのが望ましいと思います。

戦争の世紀

戦争の世紀

20世紀は戦争の世紀だといわれています。
第一次世界大戦が起こったのは1914年。
第二次世界大戦は1939年。
朝鮮戦争が1950年。
ベトナム戦争が1965年。集結は10年後。
湾岸戦争は1991年。
これらは、相対的に大きな戦争を列記しただけで、中東やアフガニスタン、コンゴ、ルワンダ、ボスニア、コソボ、チェチェン・・、戦争の起こらぬ時はないと言っていいほど、各地で戦いが行われ、多くの人命が失われています。
そして、科学の発達が武器の殺傷力を高め、人々の争いをさらに悲惨なものにしていきます。
そのもっとも最たるものが核爆弾で、1945年に長崎、広島に落とされました。
幸いその後核兵器は使用されていませんが、その数、量、破壊力は飛躍的に伸びています。
インド、パキスタンが核保有国になったのはごく最近のことです。
これだけあるものが22世紀まで使用されない保証はありません。持てば使いたくなるのが人情です。
戦争の後残された負の遺産もあります。
アジアを中心に、何十年も前に埋められた地雷や爆弾の処理が問題になっています。
今、こうしている間にも,誤って地雷を踏んでしまい足を失ったり、いのちを失ってしまう人たちがいると聞きます。悲しいことです。
 20世紀は戦争の世紀だ、と書きましたが、戦争そのものは紀元前から行われています。
聖地エルサレムも、元はといえば他の部族が住んでいるところにユダヤ人の先祖が攻め入り、自分のものにした経緯があります。
人の手は大昔から、お互いの血で汚されているのです。
これは種の数を調整するべく、自然が起こしているのでしょうか?
そうは思えません。人間は動物から進化してきたのであるから、互いに争うのは本能的に仕方のないものなのでしょう。
競争は絶えることはありません。
そこで、その競争心を満たしながら発達してきたものにスポーツがあります。オリンピックがあるのです。
人間の知恵でしょう。
21世紀はもっとスポーツが盛んになり、戦争が少なくなればいいが、と思います。
だが、そうはならないでしょう。
最近の少年犯罪の増加、親による幼児虐待、いじめ、学級崩壊、それらを経験してきた子供達が成人したときに、世の中はどのように変わってしまうのでしょうか。
聖書にはイエスの言葉としてこう書かれています。
「誰でも乳飲み子の様にならなければ天国に行くことはできない。」
乳飲み子の霊磁力の繭は綺麗に並んでいます。
それはとても美しく並んでいるはずです。
それが、成長に伴って周囲の影響を受けバランスを失っていくのです。
その、バランスの喪失が早くなってきたということでしょう。
責任は、もちろん親にあります。
 犯罪を犯す少年、少女や学級崩壊をおこす子供達の親はどのような子供時代を送ってきたのでしょうか。
日本が戦争の痛手からとうのむかしに抜けだし、物質的にとても豊かになってきたとき、テレビを、ファミコンを遊び道具として与えられて育った世代なのです。
そこに、現在と未来を見通す鍵があると思うのです。
 あらゆるものに霊磁力があり、意志が存在するならば、もちろん、テレビにも、ファミコンにも、アニメやゲームのキャラクターにも意志があるわけです。
それをじっと見つめ、ゲーム端末を操る子供達は、知らず知らずにそれらのキャラクターの霊磁力をため込んでいきます。
大人になっても、それは無くならないのです。
しかも、それらの霊磁力は人間が作り出したもので、この世に昔から存在したものではありません。
そして、それらのニューエイジ霊磁力は本来の霊磁力とうまく融和をはかることができない場合が多いのです。
だから、子供達は心の乱れをコントロールできずに暴走し、大人達はカルト宗教に走る。
占いがはやる。
それが現代であり、その延長線上に21世紀があるのです。
20世紀は戦争の世紀でしたが、便利を追い求めた世紀でもありました。
その中で、日本人が置き去ってきたものがあります。
人を、物を大切にする心です。
私の子供時代は今ほど車も走っていなかったし、コンビニもありませんでしたが、人の優しさはふんだんにありました。

2000年という年

2000年という年

世紀末ということで,年初からいろいろ話題になってきた年ですが、コンピューター2000年問題はなんとか乗り切ったと思えば、北海道で有珠山が噴火し、首相や大物政治家が相次いで死に、三宅島が噴火し、山陰の地震、東海豪雨・・・そして少年による凶悪犯罪。
大企業の倒産、老舗大手の乳業のずさんな製品管理による食中毒事件など、多くの事件が相次いで起こった年でした。
 これらの事柄が起こったのは、なにも世紀末だからではありません。
万物の自然なバランスの自浄作用を上回るほどの影響を人類が生じさせたことにあるのです。
それが人類が引き起こしたものである以上、人類が早急に元に戻さない限り、地球は人類を抹殺する方向に動くでしょう。
ガイア仮説では、地球の自浄力を唱えています。
 では、どうすれば自然と人類は和解できるのでしょううか。
霊磁力を意識し、万物との融和をはかっていくしか道はない、と私は考えています。

自我

自我

人をコントロールしているのは基本的に霊磁力であるはずですが、人間、この世に生を受けてから歳月を重ねてくると「自我」というやっかいなものに人生を左右されるようになってきます。
運命の流れともいえる霊磁力の自然な流れを素直に受け止めることができなくなっていくのです。
学校では学校で、職場では職場で、思うに任せないことに遭遇すると、人は無理をしてしまいます。
それが万物のバランスの一部を壊すことになり、結果的にしっぺ返しを食うことになるのです。
目の前では、一見努力などで事態が好転したかのように見えることがあっても、長い歳月の後、振り返ってみるとそれが失敗であったことに気づくのです。
 中国の思想家、老子や荘子は「無為自然」を説き、水に浮かんだ葉っぱのように自然に流れるように生きてゆくのが一番だと説きましたが、今や地球上のあちこちで万物のバランスが損なわれた磁場が出現し、生きにくくなっています。今は、老荘思想も通じない場合が多いのではないでしょうか。
そのバランスを崩したのは、他ならぬ人類です。

鏡とカメラ

鏡とカメラ

私の職業はカメラマンです。
自然や、人工物の中から自分が気に入ったものを切り取り、それが何らかのイメージを写真を見た人の心に生じて貰う、イメージ写真家です。
カメラというのは、人類の発明品の中で、最高のものだと思います。
昔の人々は自分の姿がどのようであるか、見るすべを持っていませんでした。池の橋の上から水面に映った自分を見るくらいがせいぜいでした。
 そこに、鏡が登場します。
高価なものなので、貴族しかもてなかったし、なによりも信仰の対象になりました。
やたの鏡に代表されるように、ご神体になったりしました。
ガラスの発明でとっても鮮明に自分を見ることができるようになりましたが、それでも完全ではありませんでした。
鏡では左右が逆転するからです。
それを根本的に解決する、画期的な発明がカメラです。
前章で書いたように、あらゆるものに意志があるならば、万物もまた、自らの姿を見てみたいだろうと考えたのです。
 そこで実験を試みました。
1999年の夏、北海道小樽でとった朝焼けの海の写真をプリントして、2000年3月に再び小樽を訪れ、早朝の太陽と海にその写真を見せたのです。
「ほら、これが君だよ。綺麗だね」とつぶやきながら。
そのとき、僕は確かに太陽と海の意志をはっきり感じることができました。
体中がじーんとして、いつの間か涙がぼろぼろこぼれ落ちてきたのです。
そのとき、彼らは喜んでいました。
皆さんも一度、実験してみてはいかがでしょう。
大いなる霊磁力を持つものの写真を撮って、後日その写真を納めに行くのです。
太陽に愛されるようになれば、晴れ男、晴れ女になり、旅行に行くときや運動会に必ず晴れるようになったりするかもしれません。
 私自身は生まれついての晴れ男で、ずいぶん旅行もしましたが(仕事で)ほとんど晴れでした。ただ、最近雷雨や大雪に遭遇することが多くなってきて、それがこの原稿をを書き始めたきっかけではあります。

霊磁力と万物の意志

霊磁力と万物の意志

±の繭は互いに引き合い、押し合いしながらいくつか、あるいは多くの固まりになります。
見えないものでは空気や風など
。宇宙的には太陽や月、地球、星々など。目に見えるものでは衣食住に関わるすぺてのもの。
それらはそれぞれ意志を持ち始めます。
 たとえば本を探そうと本屋に行くとしましょう。
売り場では目的にあった本を探すでしょう。
あるいはふと目に付いた本を購入したりするかもしれません。
そのとき、人は本当に自分自身の意志で本を選んでいるのでしょうか。
 すべてのものに意志があり、霊磁力を使って本が自分をかってもらえるように買い手にアプローチしているということはないでしょうか。
その手段をテレパシーと呼んでもいいでしょう。
物言わぬ花をほめると綺麗に育ったり、長く生きていたりするといいます。
クラシック音楽を流している植物園もあるようです。
 そしてそれらのものが求めているものは様々で、持ち合わせている能力も様々です。
ただ、一つだけ言えることは、非常に人間的であるということです。
もっとも顕著なのは、同じもの同士集まりたがる、ということです。
人間がそうであるように、動物は同じ種類同士、植物も同じ種同士、引き合い、くっつきあいたがるのです。
 人間は無意識のうちにそれらのもの達にコントロールされていることが時々あると感じます。
同一のメーカーの車を持つオーナー同士がクラブをつくって月に一度集まったりするのもそうでしょう。
人間が行う同窓会のように。
それでは、金属やプラスチックなどはどうでしょうか。
やはり引き合い、意志を持っていると思われます。
遠い昔、人々は石や木を信仰の対象にしていました。
エジプトでは太陽が神でした。
 万物は意志を持ち、霊磁力をお互いに交流しあい、宇宙のバランスを保ってきたのです。
それが今、狂ってきています。
21世紀は、拡大と破壊の20世紀とは異なり、自然界のいろんなもの達との調和をはからなくてはならないように自然になっていくことでしょう。