2018年2月4日日曜日

戦争の世紀

戦争の世紀

20世紀は戦争の世紀だといわれています。
第一次世界大戦が起こったのは1914年。
第二次世界大戦は1939年。
朝鮮戦争が1950年。
ベトナム戦争が1965年。集結は10年後。
湾岸戦争は1991年。
これらは、相対的に大きな戦争を列記しただけで、中東やアフガニスタン、コンゴ、ルワンダ、ボスニア、コソボ、チェチェン・・、戦争の起こらぬ時はないと言っていいほど、各地で戦いが行われ、多くの人命が失われています。
そして、科学の発達が武器の殺傷力を高め、人々の争いをさらに悲惨なものにしていきます。
そのもっとも最たるものが核爆弾で、1945年に長崎、広島に落とされました。
幸いその後核兵器は使用されていませんが、その数、量、破壊力は飛躍的に伸びています。
インド、パキスタンが核保有国になったのはごく最近のことです。
これだけあるものが22世紀まで使用されない保証はありません。持てば使いたくなるのが人情です。
戦争の後残された負の遺産もあります。
アジアを中心に、何十年も前に埋められた地雷や爆弾の処理が問題になっています。
今、こうしている間にも,誤って地雷を踏んでしまい足を失ったり、いのちを失ってしまう人たちがいると聞きます。悲しいことです。
 20世紀は戦争の世紀だ、と書きましたが、戦争そのものは紀元前から行われています。
聖地エルサレムも、元はといえば他の部族が住んでいるところにユダヤ人の先祖が攻め入り、自分のものにした経緯があります。
人の手は大昔から、お互いの血で汚されているのです。
これは種の数を調整するべく、自然が起こしているのでしょうか?
そうは思えません。人間は動物から進化してきたのであるから、互いに争うのは本能的に仕方のないものなのでしょう。
競争は絶えることはありません。
そこで、その競争心を満たしながら発達してきたものにスポーツがあります。オリンピックがあるのです。
人間の知恵でしょう。
21世紀はもっとスポーツが盛んになり、戦争が少なくなればいいが、と思います。
だが、そうはならないでしょう。
最近の少年犯罪の増加、親による幼児虐待、いじめ、学級崩壊、それらを経験してきた子供達が成人したときに、世の中はどのように変わってしまうのでしょうか。
聖書にはイエスの言葉としてこう書かれています。
「誰でも乳飲み子の様にならなければ天国に行くことはできない。」
乳飲み子の霊磁力の繭は綺麗に並んでいます。
それはとても美しく並んでいるはずです。
それが、成長に伴って周囲の影響を受けバランスを失っていくのです。
その、バランスの喪失が早くなってきたということでしょう。
責任は、もちろん親にあります。
 犯罪を犯す少年、少女や学級崩壊をおこす子供達の親はどのような子供時代を送ってきたのでしょうか。
日本が戦争の痛手からとうのむかしに抜けだし、物質的にとても豊かになってきたとき、テレビを、ファミコンを遊び道具として与えられて育った世代なのです。
そこに、現在と未来を見通す鍵があると思うのです。
 あらゆるものに霊磁力があり、意志が存在するならば、もちろん、テレビにも、ファミコンにも、アニメやゲームのキャラクターにも意志があるわけです。
それをじっと見つめ、ゲーム端末を操る子供達は、知らず知らずにそれらのキャラクターの霊磁力をため込んでいきます。
大人になっても、それは無くならないのです。
しかも、それらの霊磁力は人間が作り出したもので、この世に昔から存在したものではありません。
そして、それらのニューエイジ霊磁力は本来の霊磁力とうまく融和をはかることができない場合が多いのです。
だから、子供達は心の乱れをコントロールできずに暴走し、大人達はカルト宗教に走る。
占いがはやる。
それが現代であり、その延長線上に21世紀があるのです。
20世紀は戦争の世紀でしたが、便利を追い求めた世紀でもありました。
その中で、日本人が置き去ってきたものがあります。
人を、物を大切にする心です。
私の子供時代は今ほど車も走っていなかったし、コンビニもありませんでしたが、人の優しさはふんだんにありました。

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