2018年2月4日日曜日

霊磁力 前書き

 霊磁力
 

 
2002年のクリスマスに東洋出版から出したものです
諸事情から2刷が出ないまま15年も経ってしまったので、
HPにアップしました(それが消えてしまったので、こちらに転載を始めます)

もちろん、お金など要りませんので、ご興味があればお読みください

暗いことが多い昨今ですが、
希望の鐘を鳴らす本だと考えます

霊磁力を集める

霊磁力を集める

別に特別な体験、神秘的な事件が起きなくても構わない、とお考えになる方もいらっしゃるでしょう。

気持ち悪いと思われる方もおられるかも知れません。
しかし、幸福になりたい、幸福でいたいと思われる方は少ないのではありませんか?

 このページに辿り着かれたあなた、このHPはあなたを選びました。

そして、霊磁力を集めることを薦めています。

どうか、実験してみてください。

難しいことではありません。
まず、身の回りから始めることです。

霊磁力のエッセンスはI、愛です。

 愛は見返りを求めません。

太陽はあらゆる生き物を生かせるために、今日も休まず燃えていてくださいます。
海の水を雲にし、大地に雨として運び、その光で植物をはぐくみ、私たちを暖めてくれます。
しかし、お返しを要求したりはしません。
本当の愛は、見返りを求めないのです。

ですから、まず、あなた自身を愛してください。
体をいたわってください。体に感謝してください。

 次に、あなたのご家族を大切に思い、言葉にし、行動に表してください。

それが終われば身の回りです。

空気に感謝してください。

誰もいないところで有り難う、と声をかけるのもいいかも知れません。

今、あなたの身の回りにあるもの、大切にしてください。

引き出しを開けてみてください。
使われなくなった文房具、その他いろんなものが見つかるはずです。
道具は使われるために生まれてきました。
おもちゃは遊んで貰うために生まれてきました。
洋服は着て貰うために生まれてきたのです。

そんな、小さなものが出番を待っています。
全てが生きており、意志を持っているのです。

「ものを大切にする」それに尽きます。
ご自分のアイデアでいろいろやってみてください。

アイデアは無限です。

そして、外に出たら、あらゆるもの、あらゆる生き物、あらゆる人にいとおしみのこころで接してください。

私は、こんな事をしてみました。
安倍晴明神社で買った、珍しい水晶のお守りがあります。透明とピンクの球がひとつずつ。
もう、買って一年になりますが、その間、いつも持ち歩き、綺麗な風景があれば袋から取り出して風景を見せてやり、温泉に行けば、一緒に風呂につかります。
「長い間、地面のなかで寒かっただろう?さ、暖まりなさい」と思いながら。

おきつねさまの写真を伏見稲荷まで持っていったのには訳があります。
多くのおきつねさまのいる風景、ひょっとしたら生まれ故郷を見せてあげたかったのです。

さて、もう、おわかりになったと思います。
あほらしい、と感じられた方もおられるでしょう。

ものに感情があるものか、とお考えになったかも知れません。

でも、一人でも多くの人が霊磁力をきれいに並べることによって、この国は、この地球は変わるのです。

少なくとも、私はそう信じています。

最後に、ラブロックの「ガイア仮説」をご紹介します。

「地球という惑星を宇宙規模で見たら、複雑な調整機能を持つ、一個の生命である。」 

小さな奇跡たち

小さな奇跡たち

2001年に私の周りに起きた小さな、しかし私にとっては大きな奇跡達をご紹介しましょう。

 友人を車で訪ねたとき、到着と同時に友人の乗る車が前にとまり、びっくりしたことが3回ありました。

 また別の友人に電話をかけようと思うと、向こうからかかってきたことが10回はありました。

 磁力の事を気にかけていると、友人からある方を紹介して貰い、ご自宅に伺ってみると、強力な磁石を見せられ、これを水道管に取り付ける仕事をしています、と告げられました。

 娘に知り合いから磁石が送られてきました。2度も別の人から。

 天神さん「天満宮、菅原道真を祀る」が気にかかるようになり、大阪の天満宮を詣ると100羽ほどの鳩が私にめがけて、低空飛行でまっしぐらに飛んできました。
幸いぶつかることはありませんでしたが、頬の横をかするように多くの鳩が過ぎ去っていきました。
「火雷天神」と道真が呼ばれており、なくなった後、祟り神としてあちこちに雷を落としたりしたこともそのころ知りました。

 サイパンの近くの小さな島に20年ぶりに訪れましたが、どうしても虹の写真を撮りたく思っていました。
支配人の「乾期だから無理でしょう」という言葉にもめげず、自信満々で心待ちにしていると、帰る朝にスコールがあり、しっかり撮すことが出来ました。

バードサンクチュアリでは、羽が1メートルはあろうかという野生の鳥が手の届く距離まで寄ってきました。

 夏に北海道旅行にフェリーに乗って車で行ったときのことです。
 フェリー乗り場がある舞鶴まで走っている途中、ずーっと雨だったのが、娘が車のなかでてるてるぼうずを作ってすぐに晴れてきて、15分ほど狐の嫁入り状態が続いた後、綺麗に晴れました。

 2年前に伺った富良野のファームインに3泊しましたが、滞在中に裏の畑の向日葵が開花し始め、ついには美しく満開になりました。

 霧の摩周湖をじっくり見たくて湖近くの宿をとりましたが、一日目は晴れでばっちり見え、二日目は霧でした。支配人曰く、「お客様が見える前、天候が悪く、一週間は全く見えなかったのですよ。ラッキーですね。」

 北海道旅行中、天候があまり良くなく、大雨が降り、雷が何度も轟きましたが、必要なときには晴れてくれました。

 11月に一人で札幌に行きました。友人を訪ねる為でしたが、北海道神宮に行きたかったのです。
神宮には行きましたが、神社の資料を読んでると、なんと泊まっているホテルの真ん前が最初に神宮があったところだと解りました。
その友人とは、エアポートライナーが札幌駅に着く頃、携帯で連絡を取り合おう、ということになっていたのですが、早く着いたので、とりあえずホテルに直行しました。
間違って、ティールームに迷い込んだと思うと、コーヒーを飲んでいる友人が私を呼びました。

 娘の7歳の誕生日には、家の中に小鳥が舞い込んで来ました。

 娘がとっている新聞で、雨と虹ときつねが登場し、「雷は今までずっとひとりぼっちだった。ともだちができてうれしい」と雷が泣く、という話がのっていました。

 大阪市立美術館に「天神様の美術」を見に行ったのですが、娘がどうしても公園の噴水で遊びたいというので遊ばせました。後でその場所が、道真が流されたとき、風待ちした所だと解りました。
ちょうどその時間、雅子様がご出産されました。

 12月、札幌に雪遊びに家族3人で行きました。
札幌の南の駅からタクシーに乗ったのですが、去年同じ所から乗ったのと同じ個人タクシーで、もちろん同じ運転手さんでした。

また、雪が街灯の光を浴びながら降ってくるシーンを撮りたくてカメラを持っていったのですが、久しぶりの雪(友人曰く)のおかげで、ばっちり撮れました。


 2002年 1/2 箕面で炎のおきつねさまを撮りました。

1/8 詩と写真のホームページ「神々の詩」が完成。アップしたとたん、雪が降り始め、すぐに晴れ、快晴になりました。その日は全国で大荒れ、雪や大風や雷が轟いたのです。

1/23 前から龍神村へ行きたい。刀鍛冶の仕事が見たい。と思っていたら、NHKで龍神村の刀鍛冶を紹介していました。

1/24 生体マイナスイオンを通電する体験会場が家の前に出来、2ヶ月ほど体験しました。

1/26 箕面の神社に炎の写真をプリントして納めに行きました。
宮司さんにとても喜ばれ、「納めさせていただきます。有り難うございました」と言われました。

1/30 伏見稲荷へおきつねさまの写真を持ってお詣り。社務所の方から写真を伸ばして欲しいと依頼を受けました。帰ってくると、娘が教科書を宿題で読み始め、「こぎつねのコンちゃんと風船、ひまわり」のお話でした。
その晩、娘を寝かせる前にテーブルを見ると、「お月様はきつねが好き」という絵本が出ていました。

 さて、この辺でいいでしょう。

今、あなたがこの原稿を読んでおられる間にも、私の身には不思議な事が起こり続けているでしょう。

ニューヨークでのテロ

ニューヨークでのテロとアフガニスタンにおける戦闘

2001年、9月11日
ニューヨーク在住でなくとも、アメリカ人でこの日を忘れる人はいないでしょう。
日本でも、ちょうど夜のニュースタイムだった事もあり、2機目の旅客機が貿易センタービルにつっこむのをライヴでご覧になった方も多いでしょう。
私自身、そうでした。その後しばらくの間はテレビの報道ばかり見ていました。 このような事件が起こったとき、人々のこころに芽生えるのは、「なぜ?」という思いです。
日本での阪神大震災や地下鉄サリン事件のときと同じです。
 テロ事件前、アメリカは好景気に沸き立っていました。株価があがり、不動産があがり、億万長者が次々に生まれ、ものをどんどん買い入れ、家に入らないと倉庫を借りる、まるで日本のバブルの頃とそっくりでした。
「大丈夫だろうか、いつ、どうやって、この熱狂は終わるのか?」と危惧していた矢先でした。
 被害者のご家族の方には申し訳ないけれど、これもまた、地球を覆う、大いなる霊磁体の仕業であると私には思えてなりません。

ハリーポッターと陰陽師

ハリーポッターフィーバー

2001年に日本も巻き込んで、本に映画にと大フィーバーとなったハリーポッターですが、私が「ハリーポッターと賢者の石」を手にしたのは2000年11月6日の事でした。
この原稿を書き始める直前で、雷を意識していた時期だけに、みけんに稲妻の傷跡がある魔法使いである主人公、ハリーポッターはとても身近に感じました。
そして、題名にもある賢者の石。
霊磁力の凄さを感じさせますね。預言者の気分を味わいました。
 大人も子供も引き込んで虜にしてしまった、この不思議な物語がこんなにも社会に受け入れられたのはどうしてでしょうか。
次に触れる陰陽師ブームもそうですが、物質文明、お金さえあれば何でも出来る、幸せだという社会的価値観がそろそろ終わりに来ているからだと思います。
さらに、日本は不景気のまっただ中にあり、大企業に勤めていても明日は保証されない。
いや、既に退職を余儀なくされてしまった方も多いはずです。
世はこころを、神を求めています。

陰陽師ブーム

夢枕莫氏によって書かれた陰陽師の文庫本を手にしたのは2000年12月11日の事でした。
陰は-、陽は+、中国からわたってきた陰陽五行をもとに、日本で独自の発達を遂げた陰陽道、1100年もの前、平安時代に宮中を陰で支えてきた陰陽師、その頂点に立ったのが安倍晴明です。
印を結んだり、呪文を唱えたり、天文を見たり、式神を自由に操ったり。
とっても魅力的な人物ですが、ここまでブームになるとは思いませんでした。
NHKのドラマや映画にまでなったのですから。
 しかし、ハリーポッターにせよ陰陽師にせよ、本の読者や映画の観客はそれを現実として信じていない人がほとんどです。
ファンタジーにすぎない。にもかかわらずこのフィーバーぶり・・・
ひょっとすると、陰で霊磁力が働いているのかも知れません。
 実は、私の家から自転車で10分ほどのところに安倍晴明神社があります。
安倍は阿倍の起こりで、私の住む大阪市阿倍野区は安倍氏ゆかりの地として知られます。
そんな神社がそばにあると知ったのは本を読んだ後でした。
 2001年1月23日。訪れてみると、安倍晴明生誕の地とあります。
空高くそびえる狐の像は晴明の母親と伝えられる白い狐にちなんだものです。
小さい社ですが、お稲荷さんもちゃんと祀ってあります。
 そのころから今まで、風邪でもないのに咳がしょっちゅう出始めます。
周りの人も咳をしていることが多くなってきました。
こんこん、こんこん、と。
まるで狐の鳴き声のように。
 そして、ついにその瞬間が訪れました。
 2002年1月2日炎の写真を写そうと、箕面の神社を訪れ、本殿とお稲荷さんを詣でた後、持参した古い破魔矢や絵馬を境内のたき火にくべ、8枚ほど撮影しました。そして、現像があがってきたとき、そこに写っていたものは、紛れもなくおきつねさまの形をした炎。
皆さんもご覧下さい。
おきつねさま
 神道や古事記に詳しい出版社の方や、撮影した神社の神主さん、先日行った伏見稲荷の社務所の方も大変驚いておられました。
このことで、前からそうではないかと思っていたことが確信にいたりました。
狐の霊は確かに存在し、僕を晴明神社や伏見稲荷に導いてくれたのだと。
狐という名の、霊磁体。
神の遣い、眷属と言われますが、狐の霊にもピンからキリまであり、低級なものは人に憑いたり害をなしたりします。
この写真のおきつねさまは、由緒あるお稲荷様の遣いでユーモアと愛情にあふれ、強い力も持っているので高級霊に属し、読者の方に害をなすことはないのでご安心下さい。

一年経過

一年経過

2002年1月31日 14時04分
ゆえあって一年と一ヶ月、原稿を書くのをストップしていました。
その間に身の回りや世間では、驚くべきことが起こり続けました。
2001年の事件のなかで、あえて3つ挙げるとすれば、日本における安倍晴明の陰陽師ブーム、世界的なハリーポッターフィーバー、そしてなんと言っても9/11のニューヨークでのテロとそれに続くアフガニスタンにおける戦闘でしょう。
個人的には、年末あたりから長い間更新していなかったホームページを一新し、写真と詩のページを作ったことや、霊磁力の仕業としか思えない、いろいろな小さな奇跡たちが毎日のように身に起こったことです。
それらいろいろの事柄を書いた後、いよいよ霊磁力の纏い方についてお話ししたいと思います。

大晦日・新年

大晦日

今、2000年12月31日午後8:00です。
愛用のマッキントッシュ、コンピューターに向かって、この原稿を書いています。
今年も多くのことがありました。
霊磁力の力を特に体感した一年でもありました。その感覚は、ここ10年来、時々あったものですが、今年はことのほか多く、それ故もう、一人だけの知識としておいてはならないと考え、霊磁力の概念を世に出そうと考えました。
 私の今までの実体験や考え、感じたことなどを元につれづれなるままに書いています。
きっと多くの読者が、そう言えばあのとき・・・と思い当たることがあるはずです」。
単なる偶然だと簡単に片付けてきたもののなかに、物事の真実があったはずです。
思い出して欲しい。そして感じて欲しいのです。
さらに新たに体感し、全宇宙のこんがらがってしまった、霊磁力のバランスをとるために21世紀をいっしょに生きていって欲しいと、切に願っています。

新年


2001年1月1日 0時10分
21世紀が開けました。ついに。
昨年は2000年問題でいろいろ買い込んで大変でした。
今年はすんなりカウントダウンで新年を迎えることができました。
思えば、この一年、何度「今世紀最後の」という言葉を聞かされたことでしょうか。
21世紀は明るい世紀にはならぬであろうことは間違いありません。
それだけ全盛期に多くを消費し、破壊を繰り返したしっぺ返しを悔い、我慢を強いられることになるでしょう。
エネルギーや水を巡った新しい争いが起こるでしょう。
今こそ、自然と人類の調和が必要なときなのです。
そのキーワードは、霊磁力だと私は考えています。
霊磁力は不思議なことを引き起こす。
時には奇跡的なことも起こるのです。
今年、私が体験したことをいくつか紹介します。
皆さんもきっと体験することができるでしょう。
さあ、勇気を出して霊磁力の世界にふみだしましょう。

コンピュータと電子ネット

コンピュータと電子ネット

パソコンとインターネットの発達について、私は大変肯定的であす。
そもそも組織というものは企業に見られるような社長を頂点にしたピラミッドであってはいけないのです。
そのような組織は硬直し、マイナスの情報がトップにまで届かない。
最近警察の不祥事がよく報道されますが、あれなどは最近増えたのではなく、ようやく明らかにされるようになっただけなのでしょう。
どうしてかはわかりませんが、インターネットの普及と歩をあわせたように発覚するようになったのは面白い現象打と感じます。
また、インターネットの掲示板やオークション、メーリングリストなどは大変おもしろいもので、ついついはまってしまいます。
掲示板への書き込みをきっかけに結婚することになったカップルを知っていますし、出会いの場を提供するサイトも多い。
 どうやらインターネットは霊磁力をスムーズに流す力を持っているようです。

自家用車


消防士など、火を相手に仕事をしている人は、火にあたかも人格があるように話します。
同じように、自動車を扱っている人もそれを感じるらしいのです。
長いつきあいの友人で、輸入車ディーラーのサービスをしている人がいます。
彼曰く、「自動車は生きていますよ。あまりかまってやったりできないと、すねてみたり、かわいがってやると甘えたり・・・」
 車で出かけるとき、時間に余裕があれば、知らない場所に行くのにわざと地図を見ないで運転することがあります。
前を走っていたり、横から入ってきたりする車を運転しているのが友人だと思えば安全運転になります。
それだけでなく、何となく私に信号を送ってきたりしているようなのです。それで前の車についていく。
交差点で左折可の表示が見える。その方向に曲がる。
そんな調子で走っていくと、意外にも早く目的地に着いたりします。大事にしている車が案内してくれるのです。
私はこれを、霊磁力のナビゲーターと呼んでいます。

便利な世の中

便利な世の中

2000年12月30日の日経新聞ーNIKKEIプラス1を開いてみました。
20世紀これが暮らしを変えた ランキングを見てみますと
1 コンビニエンスストア
2 携帯電話・PHS・ポケベル
3 電子ネット
4 テレビ
5 コンピューター
6 電子レンジ
7 テレビゲーム
8 自家用車
9 クレジットカード
10 ファストフード
 いかがでしょう。すべて、便利な物だし、ほとんど家にある、あるいは利用している物です。
1のコンビニなど、24時間年中無休であいているので、私が学生時代のように帰郷しなかった下宿生が飢えに苦しんだりしなくて済む便利な物の筆頭です。
しかし、便利であるだけで済んでいるでしょうか。次からこのあたりを見ていきましょう。
 

コンビニエンスストア


 コンビニは今や無くてはならない物だと思っている人が多いでしょう。
しかし、一方で膨大な無駄を生み出しています。
小口配送が前提なので、日本中をおびただしい数のコンビニ流通トラックが走っていることになります。
これは宅配便にも通じる物です。
最近スキーに行く人は皆、手ぶらです。かさばる板やスキー靴は宅配で送る。
この、新しく発生した個別流通の無駄は恐ろしい物があります。
ガソリンが無駄に使われ、排気ガスがまき散らされ、地球が温暖化するのをあおっているのです。
 話をコンビニに戻しますが、コンビニの代表的商品である弁当、賞味期限が過ぎるとすぐ捨ててしまうのを皆さん、ご存じでしょう。
その量たるや、日本中あわせれば膨大な物になります。
そのうちの一部でも海外の貧しい人たちに分けてあげればどれだけすばらしいことかとおもわずにいられません。
また、24時間開けていることによる電気代も馬鹿になりません。
便利さが大いなる無駄を生み出す代表がコンビニエンスストアなのです。

携帯電話・PHS・ポケベル


ポケベルはもう、衰退してしまったので、携帯電話にしぼって(PHSも含めて)見てみます。
心臓ペースメーカーを狂わすとか、航空機の計器に支障をきたすとか、電車内で大声で話されて迷惑だとかはよく聞きます。
だが、もっとも問題なのは膨大な電波が飛び交うことによって、霊磁力の流れが妨げられることだと私は思っています。
電波は霊磁力の±の繭ににているからです。
それだけではありません。
遠く離れていても、特定の人と24時間話せることが、集団の中での孤立を生み、見知らぬ人とのコミュニケーションをとることを妨げます。
メール機能の付いた携帯などを持つと、一日中メールのやりとりをし続けることになります。
最近の大学では、学生が携帯をいじってばかりいるので授業にならないらしい。
この機械も、便利なだけではなく、深刻な問題を生みだしているといえるでしょう。

テレビ、テレビゲーム


私はこれに、ビデオも含めるべきだと思いますが、もしあなたが自分の子供を非創造的な人物に育って欲しいと考えているなら、簡単です。
一日中テレビ、テレビゲーム、ビデオ漬けにすればいい。
 人間には(実は万物には)想像力が備わっているます。
それが、耳と目から情報が同時に入ってきたときにはその力が損なわれるのです。
そして、もしその情報が悪意や暴力に満ちた物である場合は最悪です。
猟奇殺人の犯人の部屋からホラー映画のビデオが大量に見つかることはよく知られます。
彼らは悪意と暴力の霊磁力に体中染まっています。
仮想現実、バーチャルリアリティという言葉が流行りましたが、できれば子供達は外で遊ばせてあげるようにし、家にいるときは親とコミュニケーションをとったり、読書をして想像力を培ってあげるのが望ましいと思います。

戦争の世紀

戦争の世紀

20世紀は戦争の世紀だといわれています。
第一次世界大戦が起こったのは1914年。
第二次世界大戦は1939年。
朝鮮戦争が1950年。
ベトナム戦争が1965年。集結は10年後。
湾岸戦争は1991年。
これらは、相対的に大きな戦争を列記しただけで、中東やアフガニスタン、コンゴ、ルワンダ、ボスニア、コソボ、チェチェン・・、戦争の起こらぬ時はないと言っていいほど、各地で戦いが行われ、多くの人命が失われています。
そして、科学の発達が武器の殺傷力を高め、人々の争いをさらに悲惨なものにしていきます。
そのもっとも最たるものが核爆弾で、1945年に長崎、広島に落とされました。
幸いその後核兵器は使用されていませんが、その数、量、破壊力は飛躍的に伸びています。
インド、パキスタンが核保有国になったのはごく最近のことです。
これだけあるものが22世紀まで使用されない保証はありません。持てば使いたくなるのが人情です。
戦争の後残された負の遺産もあります。
アジアを中心に、何十年も前に埋められた地雷や爆弾の処理が問題になっています。
今、こうしている間にも,誤って地雷を踏んでしまい足を失ったり、いのちを失ってしまう人たちがいると聞きます。悲しいことです。
 20世紀は戦争の世紀だ、と書きましたが、戦争そのものは紀元前から行われています。
聖地エルサレムも、元はといえば他の部族が住んでいるところにユダヤ人の先祖が攻め入り、自分のものにした経緯があります。
人の手は大昔から、お互いの血で汚されているのです。
これは種の数を調整するべく、自然が起こしているのでしょうか?
そうは思えません。人間は動物から進化してきたのであるから、互いに争うのは本能的に仕方のないものなのでしょう。
競争は絶えることはありません。
そこで、その競争心を満たしながら発達してきたものにスポーツがあります。オリンピックがあるのです。
人間の知恵でしょう。
21世紀はもっとスポーツが盛んになり、戦争が少なくなればいいが、と思います。
だが、そうはならないでしょう。
最近の少年犯罪の増加、親による幼児虐待、いじめ、学級崩壊、それらを経験してきた子供達が成人したときに、世の中はどのように変わってしまうのでしょうか。
聖書にはイエスの言葉としてこう書かれています。
「誰でも乳飲み子の様にならなければ天国に行くことはできない。」
乳飲み子の霊磁力の繭は綺麗に並んでいます。
それはとても美しく並んでいるはずです。
それが、成長に伴って周囲の影響を受けバランスを失っていくのです。
その、バランスの喪失が早くなってきたということでしょう。
責任は、もちろん親にあります。
 犯罪を犯す少年、少女や学級崩壊をおこす子供達の親はどのような子供時代を送ってきたのでしょうか。
日本が戦争の痛手からとうのむかしに抜けだし、物質的にとても豊かになってきたとき、テレビを、ファミコンを遊び道具として与えられて育った世代なのです。
そこに、現在と未来を見通す鍵があると思うのです。
 あらゆるものに霊磁力があり、意志が存在するならば、もちろん、テレビにも、ファミコンにも、アニメやゲームのキャラクターにも意志があるわけです。
それをじっと見つめ、ゲーム端末を操る子供達は、知らず知らずにそれらのキャラクターの霊磁力をため込んでいきます。
大人になっても、それは無くならないのです。
しかも、それらの霊磁力は人間が作り出したもので、この世に昔から存在したものではありません。
そして、それらのニューエイジ霊磁力は本来の霊磁力とうまく融和をはかることができない場合が多いのです。
だから、子供達は心の乱れをコントロールできずに暴走し、大人達はカルト宗教に走る。
占いがはやる。
それが現代であり、その延長線上に21世紀があるのです。
20世紀は戦争の世紀でしたが、便利を追い求めた世紀でもありました。
その中で、日本人が置き去ってきたものがあります。
人を、物を大切にする心です。
私の子供時代は今ほど車も走っていなかったし、コンビニもありませんでしたが、人の優しさはふんだんにありました。

2000年という年

2000年という年

世紀末ということで,年初からいろいろ話題になってきた年ですが、コンピューター2000年問題はなんとか乗り切ったと思えば、北海道で有珠山が噴火し、首相や大物政治家が相次いで死に、三宅島が噴火し、山陰の地震、東海豪雨・・・そして少年による凶悪犯罪。
大企業の倒産、老舗大手の乳業のずさんな製品管理による食中毒事件など、多くの事件が相次いで起こった年でした。
 これらの事柄が起こったのは、なにも世紀末だからではありません。
万物の自然なバランスの自浄作用を上回るほどの影響を人類が生じさせたことにあるのです。
それが人類が引き起こしたものである以上、人類が早急に元に戻さない限り、地球は人類を抹殺する方向に動くでしょう。
ガイア仮説では、地球の自浄力を唱えています。
 では、どうすれば自然と人類は和解できるのでしょううか。
霊磁力を意識し、万物との融和をはかっていくしか道はない、と私は考えています。

自我

自我

人をコントロールしているのは基本的に霊磁力であるはずですが、人間、この世に生を受けてから歳月を重ねてくると「自我」というやっかいなものに人生を左右されるようになってきます。
運命の流れともいえる霊磁力の自然な流れを素直に受け止めることができなくなっていくのです。
学校では学校で、職場では職場で、思うに任せないことに遭遇すると、人は無理をしてしまいます。
それが万物のバランスの一部を壊すことになり、結果的にしっぺ返しを食うことになるのです。
目の前では、一見努力などで事態が好転したかのように見えることがあっても、長い歳月の後、振り返ってみるとそれが失敗であったことに気づくのです。
 中国の思想家、老子や荘子は「無為自然」を説き、水に浮かんだ葉っぱのように自然に流れるように生きてゆくのが一番だと説きましたが、今や地球上のあちこちで万物のバランスが損なわれた磁場が出現し、生きにくくなっています。今は、老荘思想も通じない場合が多いのではないでしょうか。
そのバランスを崩したのは、他ならぬ人類です。

鏡とカメラ

鏡とカメラ

私の職業はカメラマンです。
自然や、人工物の中から自分が気に入ったものを切り取り、それが何らかのイメージを写真を見た人の心に生じて貰う、イメージ写真家です。
カメラというのは、人類の発明品の中で、最高のものだと思います。
昔の人々は自分の姿がどのようであるか、見るすべを持っていませんでした。池の橋の上から水面に映った自分を見るくらいがせいぜいでした。
 そこに、鏡が登場します。
高価なものなので、貴族しかもてなかったし、なによりも信仰の対象になりました。
やたの鏡に代表されるように、ご神体になったりしました。
ガラスの発明でとっても鮮明に自分を見ることができるようになりましたが、それでも完全ではありませんでした。
鏡では左右が逆転するからです。
それを根本的に解決する、画期的な発明がカメラです。
前章で書いたように、あらゆるものに意志があるならば、万物もまた、自らの姿を見てみたいだろうと考えたのです。
 そこで実験を試みました。
1999年の夏、北海道小樽でとった朝焼けの海の写真をプリントして、2000年3月に再び小樽を訪れ、早朝の太陽と海にその写真を見せたのです。
「ほら、これが君だよ。綺麗だね」とつぶやきながら。
そのとき、僕は確かに太陽と海の意志をはっきり感じることができました。
体中がじーんとして、いつの間か涙がぼろぼろこぼれ落ちてきたのです。
そのとき、彼らは喜んでいました。
皆さんも一度、実験してみてはいかがでしょう。
大いなる霊磁力を持つものの写真を撮って、後日その写真を納めに行くのです。
太陽に愛されるようになれば、晴れ男、晴れ女になり、旅行に行くときや運動会に必ず晴れるようになったりするかもしれません。
 私自身は生まれついての晴れ男で、ずいぶん旅行もしましたが(仕事で)ほとんど晴れでした。ただ、最近雷雨や大雪に遭遇することが多くなってきて、それがこの原稿をを書き始めたきっかけではあります。

霊磁力と万物の意志

霊磁力と万物の意志

±の繭は互いに引き合い、押し合いしながらいくつか、あるいは多くの固まりになります。
見えないものでは空気や風など
。宇宙的には太陽や月、地球、星々など。目に見えるものでは衣食住に関わるすぺてのもの。
それらはそれぞれ意志を持ち始めます。
 たとえば本を探そうと本屋に行くとしましょう。
売り場では目的にあった本を探すでしょう。
あるいはふと目に付いた本を購入したりするかもしれません。
そのとき、人は本当に自分自身の意志で本を選んでいるのでしょうか。
 すべてのものに意志があり、霊磁力を使って本が自分をかってもらえるように買い手にアプローチしているということはないでしょうか。
その手段をテレパシーと呼んでもいいでしょう。
物言わぬ花をほめると綺麗に育ったり、長く生きていたりするといいます。
クラシック音楽を流している植物園もあるようです。
 そしてそれらのものが求めているものは様々で、持ち合わせている能力も様々です。
ただ、一つだけ言えることは、非常に人間的であるということです。
もっとも顕著なのは、同じもの同士集まりたがる、ということです。
人間がそうであるように、動物は同じ種類同士、植物も同じ種同士、引き合い、くっつきあいたがるのです。
 人間は無意識のうちにそれらのもの達にコントロールされていることが時々あると感じます。
同一のメーカーの車を持つオーナー同士がクラブをつくって月に一度集まったりするのもそうでしょう。
人間が行う同窓会のように。
それでは、金属やプラスチックなどはどうでしょうか。
やはり引き合い、意志を持っていると思われます。
遠い昔、人々は石や木を信仰の対象にしていました。
エジプトでは太陽が神でした。
 万物は意志を持ち、霊磁力をお互いに交流しあい、宇宙のバランスを保ってきたのです。
それが今、狂ってきています。
21世紀は、拡大と破壊の20世紀とは異なり、自然界のいろんなもの達との調和をはからなくてはならないように自然になっていくことでしょう。

クリスマス明けの2000年12月26日午後8時。
私は札幌は薄野の交差点に立っていました。
零下10度近くの気温の中、空から膨大な量の雪が降ってきています。
ライトアップされた街路樹やビルの明かり、街灯などに照らされて、星の数どころではない規模で空を舞う粉雪は、大阪では決してみることができないものです。
札幌にはやはり強い霊磁力を持った知人がいて、その男性とコーヒーを飲んだ後のことでありました。
前回彼と会った折りは夏で、ものすごい雷が鳴っていました。
私はこの、雪も霊磁力と関係していると考えています。
雪の中心には、例の±の繭があって、それに水蒸気がくっついて冷やされ、雪となります。
その霊磁力の力で、水蒸気は放射状にくっついてきて、雪の結晶を形作るのです。
六角形や八角形の雪の結晶は、なんと美しいものでしょう。雪は宇宙を構成している霊磁力の中で、もっとも純粋で、もっとも磁力バランスがよく、そのために人の心を安らげてくれます。
降る雪を、ただ、ぼうっと眺めているだけで心が和んでくるのは雪の霊磁力が心の中に入ってくるからでしょう。
大いなる霊磁体が喜ぶとき、雨が降り、大喜びしているときは雪が降る、と私は思っています。

クリスマス

クリスマス

2000年12月24日、20世紀最後のクリスマスイヴ、それが今日です。
クリスマスほど不思議な物も珍しいと言えます。
日本の人口のうち、キリスト教徒は僅か1%にすぎません。
にもかかわらず、クリスマスを知らない日本人は皆無に近いでしょうし、多くの家にクリスマス飾りがおかれていることでしょう。
クリスマスツリーは当然。
一個建ちの家には電飾がなされているところも最近多くなってきました。
それなのにクリスマスがイエスの誕生を祝うキリスト教の祭事であることすら知らない人々が意外にいます。
クリスマスはもはやキリスト教とは離れたところで増殖しているのです。
この国では12月前から町のあちこちにクリスマスツリーが飾られ、クリスマスソングが流れ、テレビのトレンディドラマはクリスマスの最終回に向かってクライマックスに向かい始めます。
凄い霊磁力だと思います。
我が家の小学生の娘も、明日朝のサンタからのプレゼントを楽しみにしています。
我が家は年に一度だけ礼拝に行きます。
それは、クリスマス燭火礼拝です。
どこの宗教にも属していないと最初に断りましたが、教会に行かないわけではありません。
神社も好きだし、寺にも行きます。
そこに存在する霊磁体と交わりを持ちに行くのです。
というよりは招待されるという方が適当かもしれません。
招待状が来るわけでもないし、知り合いが誘いにくるわけでもないのですが、毎年、何となく参加してはキャンドルサービスや賛美歌やハンドベルを楽しみに行くのが我が家流です。
本日の牧師による説教のテーマは「不思議なできごと」で、人生にはマイナスのことが多いがそれが神によってプラスに変えられる、というものでした。
プラスマイナスというキーワードが出てきました。
これは、偶然ではありません。しかし、マイナスが悪いイメージで使われています。
霊磁力では、マイナスこそが大切なのです。幸運をもたらすものなのです。
1818年のオーストリアで、オルガンが壊れたおかげで「きよしこのよる」という曲がこの世に生まれたという説教でした。

恋愛について

恋愛について

「恋愛の法則は、押したり、引いたり」と歌にもありますが、恋愛の感情はどうして存在するのでしょうか?
またそのメカニズムはどうなっているのかについて科学的にアプローチされたことがあるでしょうか。
 動物にも求愛の行動が見られることは広く知られるものですが、それは直接子孫を増やす、生殖と結びつく物で人間の恋愛とは少し違うように思えます。
 よく、「恋愛と結婚は別」という人がいたり、既婚者に恋愛感情を持ったり、配偶者がいるのに浮気をしたり、同時に複数の人を好きになったり、大恋愛の末に結婚したのに一年もしないで離婚したりするケースが見られます。
 そうでなくても恋愛感情はその相手と長く一緒に暮らしている間に醒めていくのが通例です。
これはいったいどうしたことでしょうか。
恋愛を通じて、男性と女性の間に、いったいなにが起こっているのでしょうか。
 霊磁力は答えを用意しています。
繭のような形をした磁石を想像してみてください。
+極と-極を両端に備えています。
ある男性がある女性を好きになったとします。
好きの感情を+とすると+を女性に向けた繭が並びます。
 思いが募れば霊磁力は空気を伝ってどんどん集まってきます。
これが恋愛感情です。
帯電が激しくなるとその女性のこと以外考えられなくなったりします。
 女性の方は特に意識しなくとも、霊磁力的相性があれば-を男性に向けた繭を知らず知らずに集めてきます。
 プラスとマイナスは引き合い、女性も男性を愛するようになります。
 しかし、そのとき女性が男性と同じように燃え上がったとき、繭は+を前にして並ぶようになるのです。
その結果、+同士の繭は反発しあい、こころとうらはらに互いに反発しあうようになるのです。
本来女性は-が前に出ていて恋愛については受動的です。
平安時代までは男性が女性の家に通う通い婚が一般的でした。
しかし現代では女性が恋愛感情を前に出すことが当たり前のようになりました。
ここに、お互いに求めあっているのに結ばれない、不幸な状態が生じます。
 そこで、恋愛は遠回りを強いられます。
気のないそぶりをしている方が、好きだ好きだと求めていくより効果的なのにはこんな秘密があったのです。
 さて、恋愛に集中していた霊磁力はそう長くは留まってはいません。
空中に放電したり、他の異性に惹かれたり、繭の±が逆になったりして、力を弱めていきます。
だから長く交際した男女や結婚して長い夫婦は、お互いを「空気のような存在」と表現します。
磁力的に調和した状態なのです。
芸能人は年をとりにくいといいます。特に女性に顕著です。
これは、自由恋愛をやりやすい環境、というと変ですが、どんどん新しい恋愛を繰り返すことによって、霊磁力が常に活性化する、その結果肉体も老いにくい、という好循環が生じているためと考えられます。
皆さん、おおいに恋をしましょう、と、言って、不倫を進めているわけではありませんので、念のため。

幸運、不運

幸運、不運

悪いことの後にはよいことがある、とよく言います。
人生も終わりに近づくと、幸運、不運が半分ずつであるとも。
そうすると、巷ではやっている占いには意味がないことが分かります。
一見幸運のように見えて実はそれが不幸であったり、不幸の始まりであったりする訳ですから。
 人生万事塞翁が馬ともうします。
霊磁力でこの問題を考えるとき、世の中にはプラスの数だけマイナスが存在することに気がつきます。
この本をきっかけに、ご自身の霊磁力がどのような状態にあるのか、常に考えていただくことによって、幸、不幸などに惑わされることなく、いきいきと人生を楽しんでいただきたいと切に願います。

病について

病について

人生に病は付き物です。風邪も引かずに一生を終える人はまず、無いでしょう。
この、病に霊磁力が関わっていることが時折見られるような気がします。
知り合いに癌でなくなった人がいます。
癌組織が発見されてから様々な治療を受けてこられたのですが、結果的にお亡くなりになりました。
闘病中、なんとか治って、また元気に旅行に行ったりしたいとおっしゃってましたが、残念ながらそれはかないませんでした。
しかし、生前私はこの方がなんどか「いっそ死んでしまいたい」とはなされるのを聞いたことがあるのです。
その理由は書きませんが、このようなことを何度も考えたりすると、霊磁体がそれを願い事だと解釈して不治の病を呼び込みかねません。
プラスの霊磁力がガン細胞を作り出したのだと考えられます。
これは一種の自殺でしょう。  また、自分は死にたいなどと考えたこともないのに重い病にかかってしまう場合もあります。
これは±の霊磁力のバランスが大きく損なわれた結果であるかもしれません。
日々の暮らしを通して、心が悪に染まらないようにする必要があります。
かといって、まじめに、こつこつ、自分を呪わず人に優しく生きていれば病気になったりしない、と限ったわけではありません。
働きづめでオーバーワーク気味の時、霊磁力が働いて軽い、でも安静を必要とする病にかかることがあります。
 そのおかげで休息をとることができ、リフレッシュする事もあります。
 また、末期癌にかかりながら奇跡的にすっかり治って医者を驚かす人もいます。
このような人はガン細胞にさえ負けない霊磁力の持ち主である場合が多いのでしょう。
それから、患部に手をかざすだけで病気を治してしまう人がいますが、これなども霊磁力を病気の箇所に送り込むことによって、肉体の調和ー血流や電気エネルギーの流れをスムーズに変えて治療しているのだと思われます。

お金について

お金について

キリスト者はいいます。
「神はすべてを作ったが、この世で、一つだけ神が作らなかったものがある。
それは金である。それは世が生み出したのだ」
だから神は金が嫌いだと言う人もいます。
それでも教会の礼拝に行けば必ず帽子が廻ってきて献金を求められます。
神社に行けば賽銭をし、願い事を書くための絵馬を購入するでしょう。
お坊さんにお経を唱えて貰えばお礼を包みます。
財産を全部取り上げられる宗教もあります。
世が生み出したお金なる物の力はなんと絶大なのでしょう。
いまや金なしの世の中など考えられません。
初期のキリスト教の時代にはお金は存在しませんでした。
神道はそれよりも古いのですから金とは無関係だったはずです。
大阪には今宮戎という商売の神さんがあります。西宮にもありますが、お金の神さんです。
正月があけると「えべっさん」のイベントが待っています。
笹を買い、福娘に大金を払って小判や米俵などのミニチュアをつけて貰い、賽銭箱に何千、何万円を放り込み、それでも足りない人は金をかき集めるための熊手を買います。
ここまでお金に徹底した信仰を説かれたら何をかいわんやです。
そして、例年このイベントはすごい賑わいなのです。
賽銭のなかの高額紙幣が例年より多い、少ないで景気が語られます。
お金の霊磁力がいかに強いかを示していると思いますが、お金がない時代、人々はどのようにして暮らしていたのでしょうか。
最初はほかの動物のように自然の果物や野菜、時に野生の動物を食していました。
それを与えてくれるのは神です。
彼らは自然の恵みが無くなると移動しました。
やがて定住して農耕を始めるのですが、その過程で財産、個人の所有物という意識が生まれたのだと思います。
集団で所有し、集団で消費していた時代は助け合いどころか、運命共同体であったのです。
やがて所有という概念が生まれ、物々交換を経て、お金が発生します。
それでもこの時代、助け合い意識は健在だったはずですし、お金は単なる便利な道具だったのです。
(この「便利」という言葉について覚えておいてください。後のページで言及しますので。)
それがいつの間にかすごい力を持つようになり、今や、信仰の対象です。
世界中お金教の信者でいっぱいになってしまいました。
「金は悪ではない。それは人生を祝福する物である」
と、ユダヤ教のラビ(先生)がいいましたが、金のために人生が呪われた人が多いのはなんと悲しいことでしょう。
世の中で大金持ちといわれる人々は金を集める霊磁力を持ち合わせているはずですが、はっきり言えるのは、そのために本来人間に豊かに備わっているべき霊磁力が逃げていってしまい、結果的に孤独や絶望を味わうということです。

神について

神について

神は全知全能といわれています。
かつてはそうだったでしょう。
人間が宇宙の調和を乱すまでは。
世の中の霊磁力の±が綺麗に並んでいた時代がかつてはあったのです。
そのときには霊磁力に少しのゆがみが生じたとき、宇宙のバランスを保つため、神はすこしのエネルギーを使えばよかったはずです。
しかし、人が金を生み出し、科学が発達し、情報が氾濫し、人間のエゴがぶつかり合った結果、プラスを帯びた霊磁力があっちこっちに存在することになり、宇宙的意志がスムーズに伝わらなくなってしまったのです。
 20世紀は戦争の世紀でした。
「神は死んだ」とニーチェは言いました。
この世に神がいるなら、どうしてむごい戦争が起こるのだ、という人がいます。
 違うのです。人間が調和を乱して霊磁体の総和、すなわち神の力を弱めているのです。
 しかし、宇宙を創造した神の力は健在です。
個々の人や動物や物に届きにくくなっただけなのです。
 このままゆけば、やがて揺り戻しがくるでしょう。
一挙に元に戻す方法。
聖書に書いてある天地創造をもう一度すればいいのです。
1999年、2000年と世紀末という言葉がはやりました。
いろんな宗教者がこの世の終わりを唱えましたが、それほどのことは起こらなかったと皆さんはほっとしておられるでしょう。
しかし、この世の末期的状況は何一つ変わっていないのです。
地球や太陽系に存在する霊磁力の多くが人類の存在を否定した場合、その日は速やかに訪れるでしょう。
 今は、警告の時なのです。
キリスト教、仏教はじめいろんな宗教者が警告しています。
飢饉、戦争、地震、人心の荒廃、その後に預言が成就すると聖書には記されており、それを感じ取ったカルト教団も多く発生しています。
その多くが金集めであるのはお笑いですが。

いのちとは

いのちとは

霊磁力は生まれる前から、というより精子と結合する前から母親の胎内で卵子の傍らに存在していると考えられます。
単なる±の固まりとしてだけでなく霊的いのちとして。
ただしその間は眠った状態にあり、精子と結合した時点で活動を始めるようです。
この活動初期の霊磁力は、きわめて純粋なもので、宇宙の調和に則った霊的存在です。
霊的存在として体の背後にいるので、人格や性格とは関係ないと考えれられます。
ただし、霊磁力としてはその純粋性故に自然の声を聞くことができ、母親の電磁力に影響を与え、自然災害から遠ざけたりすることがあるようです。
震災などの時に偶然その地に居合わせなかった人や、生き残った人にに妊婦が多いのはこの純粋な霊磁力のおかげなのでしょう。
霊磁力は人間が成長していくに従って、複雑な形を取ってきます。胎児の頃の純粋性を保つことはほとんどありません。
というのは、霊磁力はこの世のあらゆるものに宿り、互いにやりとりをしているからです。
最初に母親、そして医者や看護婦、もちろん病院のいろんな器具、空気、空を漂ういろんな霊たち、お宮参りに行った神社、親が与えるおもちゃやテレビなどからもいろんな霊磁力が発せられており、それらの中からなにがしかを吸収し、なにがしかを奪われているのです。
こうして人は成長していきます。先祖の霊が憑くこともあるかもしれません。
人を愛し、人を憎み、信仰を持ち、仕事に就き、金銭を入手し、使い、時に金に支配されることもあるでしょう。
そのような様々な過程で霊磁力は形を変え、成長し、また縮小したりするのです。
これを、いのちと呼べるのではないでしょうか。
この、霊磁力のいのちは、形のないものですから、肉体が滅んでも損なわれません。永遠のいのちです。
電気的な要素を含んでいるので、カメラにうつったり、火の玉として目撃されたり、夢枕にたったりすることもあるかもしれません。
その後この霊磁力の固まりは、たいていの場合、元の小さな±の小片となって、宇宙の調和にあわせて漂い、集まり、また新たな霊磁力の固まりとして生まれ変わることになります。
聖書の中に、「あなた方はちりから生まれたのだからちりに帰る」、と神が禁断の木の実を食べたアダムとイヴに告げるシーンがありますが、この、ちりというのが霊磁力の最小単位なのではないでしょうか。
生に執着する霊磁力は分解されず、いろんなところでいろんな影響を与え、人をたたったり、ポルターガイスト現象を引き起こしたり、こっくりさんに出てきたりするようです。
 無論無害な霊もいます。自分の子供や子孫に憑いて、悪から遠ざけたり、守ったりするものもいるようです。
いのちとは、霊磁力の固まりだと書きました。
そうなると、あなたの身の回りにあるもの。動物はもちろん植物、そして無機的なもの、パソコンや車や机や太陽、雲、月、空気・・・すべてにいのちがあることになります。霊磁力の固まり、すなわち霊磁体は意志を持っています。
そう考えると、花をほめると綺麗になったり、車やパソコンの機嫌を損ねると、とたんに調子が悪くなったり、晴れ男や雨男、雷男さえいても不思議ではありません。
 しかし、そうなると、なかなか大変です。
あなたはどこにいても常に何かに見られていることになります。
良い行いも、悪い行いもすべて・・・
欧米のキリスト圏では子供に次のように教えるそうです。
「誰もいないと思って悪いことをしてはいけません。神様が見ています。」
私は何らかの宗教団体に属していませんが、神については仮説を持っています。
森羅万象すべての霊磁力を統括するもの、というより総体と呼べるものだと思います。
ですから宇宙の調和を乱すことのない範囲であれば、願い事も聞き入れてもらえるでしょうし、それ以上に大事なのは、あなた自身の考え方や行動が調和の中に小さな嵐を巻き起こし、それがほかの人に伝わって大きなうねりとなったとき、神は動きます。バランスをとるように。
2000年も有珠山や三宅山噴火に代表される天変地異が国内外で多く起こりました。
私はこれらのことに神と呼ばれる大いなる霊磁力の意志を感じるのです。

雷と神通力

雷と神通力

最近、家族旅行をしたり、大事な人と会ったりすると、大雨になり、雷が驚くことが多くなりました。
 私は元々晴れ男で、長い旅行でも雨に降られることはそうありませんでした。
 よくよく考えると、2000年2月に車を購入して以来だということが判明しました。
 それはドイツのオペル社のアストラという車で、前と後ろに稲妻のマークが入っています。
 ただそれだけのことで雷にたたられるなんておかしい。
ほかのオーナーの場合はどうなんだといわれるでしょうが、どうも、知ってる限りでは私だけなのです。
 雷は元々静電気を多く集めた雲が大きなアースである地球と引き合って、巨大な電撃として走るものですが、霊磁力に帯電した私が稲妻マークの車を購入することによって引き起こされる場合があるのだと考えています。
 そうなると、ちょっと恐ろしいことになります。
私が旅行に出かけたり、霊磁力の高い人物と会ったりすると雷が落ちるのですから、一人の人物が天候を左右することになってしまします。
 実は、こんなことがありました。
 2000年3月のある日、5歳の娘と幼稚園の園庭にいました。
穏やかな晴れの日で、ぽかぽかしていました。
そこには杖のついたヘリコプターのおもちゃがあり、子供が地面にヘリコプターを押しつけて走ると羽がぐるぐる回る遊び道具です。
 ふと思いついて、杖のところをはずし、娘に手渡しました。
「魔法の杖だよ。少しだけ使っていいよ。」
 娘は杖を振り回しました。「雪よ降れー、雪よ降れー 」
どうなったと思いますか?
3分ほどすると黒雲がやってきて、大雪が降り始めたのです。
さすがに恐ろしくなって、すぐに止めたのですが、娘が杖を振るのをやめると、あっという間に黒雲は退散し元通りの穏やかな晴れ間が戻ってきました。
 娘が超常現象を引き起こしたのは、それが最初で最後です。
それで思いついたのが日本古来のシャーマニズムです。
仏教の伝来で廃れてしまいましたが、かつての日本人は万物に神が宿ると信じ、もっとも霊的な力のあるものを巫女としてあがめたのです。
 邪馬台国の卑弥呼が有名です。
日照りが続けば雨乞いの祈りで雨を降らせたりしたのでしょう。
 卑弥呼は何らかの方法で、または生まれつき霊磁力をコントロールする技を体得していたのかもしれません。
世の中には超能力にあこがれる人が多いように思えます。
かつてスプーン曲げがはやったとき、一生懸命スプーンの柄をこすった方は多いのではないでしょうか。
霊磁力が体にことのほか多く帯電した時、不思議な出来事が次々に起こるのは確かですが、それを自由自在に操れるというわけではありません。
雪を降らせた娘にしてもそれ以来奇跡を起こしてはおりませんし、私自身も、たとえば今すぐに「雷よとどろけ!」と叫んでもなにも起こりません。
宇宙に存在する霊磁力は想像を絶するほど多く、それらが調和をはかっているのです。
しかし、霊磁力を多く身につけることは可能です。
その方法については後ほど書きますが、それが決していいことばかりとは限らないことを覚えておいてください。
 あらゆる物事にはいい面と悪い面があるのです。
たとえば、電磁力を多く身にまとったためにいろんなものと共鳴し、多くのものを購入し、大金をはたく羽目に陥るかもしれません。
電磁力が反発しあって、人とトラブルに陥るかもしれません。
大切な人と別れることになるかもしれないのです。
それでもなお、電磁力を多く身に帯びたときの奇跡的な出来事、精神的高揚、失ったもの以上に得たものは、はかりし得ない価値を持っています。
 このようなものをシステマティックにまとめ上げたものを宗教と呼んでもいいのかもしれません。
その宗教の中心にいる指導者のカリスマ性こそが霊磁力だといえるでしょう。

巨石文明

巨石文明

世界各国に巨石文明と呼ばれるものがあります。
マヤやイースター島、イギリスのストーンヘイジ。
我が国においてはあちこちにあるストーンサークル、沖縄に見られるぐすく、や石がん頭。神社の岩くら。
 ですが、本来の信仰の中心は山であり、その中から切り出した石を信仰の対象にしたのだと思われます。
石というものは非常に古いもので、地球の誕生までさかのぼれるものです。地球に雨あられと降り注いだ隕石が堆積し、自らの重みと何度も起こった氷河期の氷の重みで固められたものであると考えられています。
 山の木の下に眠る巨大な石の固まりの霊磁力は相当なものです。
 過日北海道の積丹半島を車でぐるっと一周しました。
山の手を見上げると巨大な石の固まり、海には屹立した鋭利な石の石の固まりと、石だらけです。
私はかつて旅行会社に12年ほどつとめていまして、国内外のいろんな土地を訪れたのですが、積丹半島の風景は今まで見たことのないもので、最高の感動を覚えました。
 北海道にはなぜか神のつく地名が多いのですが、(積丹には神威岬がある)そんな道をドライブしていると、なんだか不思議に歌を歌いたくなって、同乗していた二人の男性と何十曲も歌っていました。
霊磁力のすごく高められた場なんですね、おそらく。
 積丹半島をぐるっと一周できるようになったのはほんの5-6年くらい前だと言いますから、まさに、神の住む、人間が立ち入ってはいけない場所だったのでしょう。

超能力と宗教

超能力と宗教

2000年12月17日、NHKの課外授業という番組で、糸井重里さんが「言葉は超能力」とおっしゃってました。
ほかにも、花や石が語りかけてくる、とも。
 私たちは一般的に目に見えない物、耳に聞こえない物、手に触れない物の存在を信じません。
石が話しかけてくる、などと言うと「頭がおかしい」と決めつけられてしまいます。
 しかし、かつて日本では八百万(やおよろず)の神々が信仰され、あらゆる物に霊が存在し、それぞれの神がいると信じられていたのです。
 そんな昔のことを引き合いに出さずとも、正月に多くの日本人が初詣に出かけて手を合わせます。
目に見えない存在が人生に何らかの影響を与えることを人々は直感的に感じているからでしょう

 私はこの、花や石が交流をしあい、人間にも語りかけてくる方法が霊磁力だと考えています。 霊磁力はプラスマイナスの浮遊物質として空気中をさまよっています。
そして宇宙に存在するすべての物に雪が積もるように降り立ち、集まり、それ自身の意志を形成してゆくのです。
これを霊磁体と呼びましょう。  NHKの番組で、糸井さんは子供たちを河原に誘い、好きな石を探させました。
 子供たちはめいめい、気に入った石を選び、持ち帰りました。
しかし、このとき石を選んだのは子供たちの意志でしょうか?
石が霊磁力を発揮して、子供を選び、拾わせたと考えられないでしょうか。
磁場と言う言葉があります。
昔から高い磁場のところには作物がよく稔り、その中心に神社ができたという説があります。
 この磁場は霊磁力の高い場所でもあります。
大木や、古い石が置かれ、人々がいろんなことを願いに訪れます。
そこで霊磁力が高すぎる人は神社に取り去られ、低い人は貰ってきます。
その結果、その後の人生ががらっと変わり、その神社が霊験あらたかであると言うことになり、噂が広まり、さらに人が集まり、その神社の霊磁力がさらに増すことになるのです。
 キリスト教やイスラム教、ユダヤ教などは偶像崇拝を禁じています。
神は唯一で、物には宿らないと教えます。
それは、逆に言えば霊磁力を持った石や絵や像や山などが大きな力を持つことをよく知っているからだったのでしょう。
 最近読んだ本に、真説「聖書」・イエスの正体(日本文芸社・ラッセルショート著)があります。
著者はジャーナリストで、最近、欧米で流行している、聖書及びイエスの物語の史実性研究について書かれたものです。
 それによれば新約聖書のほとんどが、キリスト教を普及させたい人々による作文だということになります。
イエスの存在そのものを否定するものです。
実は、私も聖書を研究した結果、同じような結論に達しました。
もしそれが事実ならば、どうしてキリスト教は2000年もの間、発展してきたのでしょうか?
キリストを受け入れる、すなわち、「私たちの罪をあがなうためにキリストは十字架に架けられ死んで下さった。
だから自分の罪も許される。私はイエス・キリストを救い主として受け入れます。」と告白することでキリスト教徒としての生活が始まります。
 私自身、霊性の高い牧師を海外から招いて行われた伝道集会に行ったことがありますが、初めてキリスト教に接してぼろぼろ涙をこぼす人、失神する人、病が治った人などをこの目にしました。
 その集会場で何かが起こったのです。私は霊磁力がその集会場に異常な高さで充満していたのだと考えています。
 その霊磁力はどこからきたのか?
霊性の高い牧師を中心に、その場に居合わせたキリスト教徒の体に宿っていたイエスへの信仰心がそれをなさせたのでしょう。
 イエスの霊がそこにはいたはずです。
この世に生まれ、罪人のために十字架にかかった史実は無いはずなのに。
 イエスの存在が無くても、それを信じる人が多ければ、信仰が高ければ、存在したと同じことになるのです。
イメージそのものを核とした、巨大な霊磁力、それがキリスト教であると思います。
そしてこれは、他の宗教にも共通することだと考えます。
信仰あるところ、霊磁体が成長し、神となるのです。

偶然

偶然

誰でも一度は、友人や知り合いに、意外な場所でばったりあったりした経験をお持ちでしょう。
 それを単に、偶然の出来事だととらえていませんか?
 実はこれは、霊磁力の仕業なのです。
霊磁力は決して人だけが持つ物ではありません。
動物も、植物も、それどころか無機物である金属やプラスチックでさえ、持ち合わせている物なのです。
 一人の人間が持っている霊磁力は常に一定ではありません。
絶えず人間同士、物同士、人間対物の間で霊磁力のやりとりをしているのです。
 ハイキングに行って森林浴をすると頭がすっきりとします。
マイナスイオンの働きだと言われますが、
私の感じるところでは、山や川は遙かな時間、霊磁力を多く蓄えてきた霊磁体です。
そして強い霊磁力は人間のくずれた霊磁力のバランスを整えてくれます。
マイナスが欠けていればマイナスを補充してくれるのです。
 また、霊磁力が体に多大に蓄積された人間はお互いに引き合います。
 私の経験のなかでも、もっとも劇的な事柄があります。
 12年ほど前の12月24日。
クリスマスイヴの朝、私は新宿のホテルにいました。
私の自宅は大阪なので、出張中だったのです。
 朝、目が覚めると、どうしても北海道に住むSさんに会いたくて仕方なくなりました。
ま、声だけでもとご自宅に電話すると、奥様が出られ、今、主人は東京だと言われます。
どこですかとお聞きすると、八王子のアイスアリーナで開かれている、国土と王子製紙のアイスホッケーの日本一決定戦を見に行っているとのことでした。
 「じゃ、私は今新宿で、八王子は車で行けば、そう遠くないので会いに行きます」と言うと、
「何万人も人がいるのだから、会えるわけがない」と、おっしゃいます。
 しかし、そのとき私は自信があったのです。Sさんに会える自信が。
 レンタカーを借りていたので、早速私はホテルをチェック・アウトし、八王子に向かいました。
渋滞もあって、アリーナまで2時間ほどかかりました。
アリーナの駐車場は空いていました。もう、試合は終わってしまったと駐車場の係員が言います。
駐車場はメインゲートの真裏にあり、なるほど向こうに人の列が見えます。
普通ならここであきらめるところですが、なぜか私は自信たっぷり。
 アリーナの横を歩き始めました。
そのとき、アリーナ横のドアが気になりました。メインの出口ではないのでそこから観客が出てくるはずがないのに、あ、Sさんがあそこから出てくるだろうな、と感じました。
そして、まさにそのとき、Sさんがそのドアから出てこられたのです。
「Sさん、会いに来ました」「会いに来たって、こんな何万人もいるところで会えるなんて、偶然でもありえないよ」
びっくりされていましたが、羽田の飛行機に乗り込むため、急いでおられたので、会えたのは八王子駅のホームでお別れするまでの7ー8分だけでした。
このとき私は神の存在を感じ、今では霊磁力の力だと信じるようになったのです。
この後、私は数々の不思議な体験をすることになりますが、霊磁力はすごい力を発揮すると言うことを覚えておいてください。
そして、この霊磁力の存在を知るか否かでは、人生の有り様ががらっと変わることをより多くの方々に知っていただきたくてこの原稿を書いています。

目次

目次

1偶然 
2超能力と宗教  
3巨石文明  
4雷と神通力  
5いのちとは  
6神について   
7お金について
8病について  
9幸運、不運  
10恋愛について  
11クリスマス  
12雪  
13霊磁力と万物の意志  
14鏡とカメラ
15自我  
16/2000年という年  
17戦争の世紀  
18便利な世の中  
19コンピュータと電子ネット  
20大晦日・新年
21一年経過  
22ハリーポッターと陰陽師  
23ニューヨークでのテロ  
24小さな奇跡たち  
25霊磁力を集める

霊磁力 はじめに

霊磁力


 皆さんは人間が磁石の様なものだと考えられたことはありませんか?
 お互い結ばれたいのに結ばれない、別れたいのに別れられない、
くっついたり離れたりしているカップルなどを見ていると、とっても磁石に似ている。
 長く同じところに住み着いていると、離れことができなくなる。
隠れた趣味を持っていて、なぜかがらくたのような物を集めてしまう。
子供の頃から持っている、ぬいぐるみを汚くなったからといって捨てることができない。
私のいろいろな体験から、人間は霊的な磁石なのではないかと考えるようになりました。
 磁力はN極とS極から成り立っています。
そして、NとN、SとSはは反発しあい、NとS同士は引き合うことは小学生でも知っています。
磁力はまた、電気とも密接に関係しています。
コイルに通電すると磁界を形成しますし、電子の回転が磁力の源だと考えられています。
電子はマイナス-で表され、滝にゆけばマイナスイオンを浴びて、こころが爽やかになることが最近よく知られ、
マイナスイオンを放出するエアコンまで売り出されてました。
さて、この-ですが縦にするとI、アイ、愛です。これは偶然でしょうか。
プラス発想に見られるように、プラスをいいイメージでとらえられる様ですが、
本当にそうでしょうか。
子供が太陽を描くとき、その光はI、I、I 愛なのではありませんか。
さて、ここでは霊的な電磁力について考えてみたいと思います。
 「感動する」と言います。人は感動するとき、物理的になにを感じるでしょうか?
頭や胸がジーン、とします。何らかの働きで、体を電気が駆け抜けるのです。
これは霊的な磁力、霊磁力の働きと考えていいと思います。
 この、霊磁力が人や物、宇宙のすべての営みを支配していると考えられます。
実際の事例を見てみましょう。
尚、このページの写真は2002年1月2日、ある神社で絵馬、破魔矢を火に入れ、撮った際の霊磁体、龍神様です。
目、鼻、口、髭、角が写り込んでいるのが解ります