2018年2月4日日曜日

お金について

お金について

キリスト者はいいます。
「神はすべてを作ったが、この世で、一つだけ神が作らなかったものがある。
それは金である。それは世が生み出したのだ」
だから神は金が嫌いだと言う人もいます。
それでも教会の礼拝に行けば必ず帽子が廻ってきて献金を求められます。
神社に行けば賽銭をし、願い事を書くための絵馬を購入するでしょう。
お坊さんにお経を唱えて貰えばお礼を包みます。
財産を全部取り上げられる宗教もあります。
世が生み出したお金なる物の力はなんと絶大なのでしょう。
いまや金なしの世の中など考えられません。
初期のキリスト教の時代にはお金は存在しませんでした。
神道はそれよりも古いのですから金とは無関係だったはずです。
大阪には今宮戎という商売の神さんがあります。西宮にもありますが、お金の神さんです。
正月があけると「えべっさん」のイベントが待っています。
笹を買い、福娘に大金を払って小判や米俵などのミニチュアをつけて貰い、賽銭箱に何千、何万円を放り込み、それでも足りない人は金をかき集めるための熊手を買います。
ここまでお金に徹底した信仰を説かれたら何をかいわんやです。
そして、例年このイベントはすごい賑わいなのです。
賽銭のなかの高額紙幣が例年より多い、少ないで景気が語られます。
お金の霊磁力がいかに強いかを示していると思いますが、お金がない時代、人々はどのようにして暮らしていたのでしょうか。
最初はほかの動物のように自然の果物や野菜、時に野生の動物を食していました。
それを与えてくれるのは神です。
彼らは自然の恵みが無くなると移動しました。
やがて定住して農耕を始めるのですが、その過程で財産、個人の所有物という意識が生まれたのだと思います。
集団で所有し、集団で消費していた時代は助け合いどころか、運命共同体であったのです。
やがて所有という概念が生まれ、物々交換を経て、お金が発生します。
それでもこの時代、助け合い意識は健在だったはずですし、お金は単なる便利な道具だったのです。
(この「便利」という言葉について覚えておいてください。後のページで言及しますので。)
それがいつの間にかすごい力を持つようになり、今や、信仰の対象です。
世界中お金教の信者でいっぱいになってしまいました。
「金は悪ではない。それは人生を祝福する物である」
と、ユダヤ教のラビ(先生)がいいましたが、金のために人生が呪われた人が多いのはなんと悲しいことでしょう。
世の中で大金持ちといわれる人々は金を集める霊磁力を持ち合わせているはずですが、はっきり言えるのは、そのために本来人間に豊かに備わっているべき霊磁力が逃げていってしまい、結果的に孤独や絶望を味わうということです。

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