2018年2月4日日曜日

超能力と宗教

超能力と宗教

2000年12月17日、NHKの課外授業という番組で、糸井重里さんが「言葉は超能力」とおっしゃってました。
ほかにも、花や石が語りかけてくる、とも。
 私たちは一般的に目に見えない物、耳に聞こえない物、手に触れない物の存在を信じません。
石が話しかけてくる、などと言うと「頭がおかしい」と決めつけられてしまいます。
 しかし、かつて日本では八百万(やおよろず)の神々が信仰され、あらゆる物に霊が存在し、それぞれの神がいると信じられていたのです。
 そんな昔のことを引き合いに出さずとも、正月に多くの日本人が初詣に出かけて手を合わせます。
目に見えない存在が人生に何らかの影響を与えることを人々は直感的に感じているからでしょう

 私はこの、花や石が交流をしあい、人間にも語りかけてくる方法が霊磁力だと考えています。 霊磁力はプラスマイナスの浮遊物質として空気中をさまよっています。
そして宇宙に存在するすべての物に雪が積もるように降り立ち、集まり、それ自身の意志を形成してゆくのです。
これを霊磁体と呼びましょう。  NHKの番組で、糸井さんは子供たちを河原に誘い、好きな石を探させました。
 子供たちはめいめい、気に入った石を選び、持ち帰りました。
しかし、このとき石を選んだのは子供たちの意志でしょうか?
石が霊磁力を発揮して、子供を選び、拾わせたと考えられないでしょうか。
磁場と言う言葉があります。
昔から高い磁場のところには作物がよく稔り、その中心に神社ができたという説があります。
 この磁場は霊磁力の高い場所でもあります。
大木や、古い石が置かれ、人々がいろんなことを願いに訪れます。
そこで霊磁力が高すぎる人は神社に取り去られ、低い人は貰ってきます。
その結果、その後の人生ががらっと変わり、その神社が霊験あらたかであると言うことになり、噂が広まり、さらに人が集まり、その神社の霊磁力がさらに増すことになるのです。
 キリスト教やイスラム教、ユダヤ教などは偶像崇拝を禁じています。
神は唯一で、物には宿らないと教えます。
それは、逆に言えば霊磁力を持った石や絵や像や山などが大きな力を持つことをよく知っているからだったのでしょう。
 最近読んだ本に、真説「聖書」・イエスの正体(日本文芸社・ラッセルショート著)があります。
著者はジャーナリストで、最近、欧米で流行している、聖書及びイエスの物語の史実性研究について書かれたものです。
 それによれば新約聖書のほとんどが、キリスト教を普及させたい人々による作文だということになります。
イエスの存在そのものを否定するものです。
実は、私も聖書を研究した結果、同じような結論に達しました。
もしそれが事実ならば、どうしてキリスト教は2000年もの間、発展してきたのでしょうか?
キリストを受け入れる、すなわち、「私たちの罪をあがなうためにキリストは十字架に架けられ死んで下さった。
だから自分の罪も許される。私はイエス・キリストを救い主として受け入れます。」と告白することでキリスト教徒としての生活が始まります。
 私自身、霊性の高い牧師を海外から招いて行われた伝道集会に行ったことがありますが、初めてキリスト教に接してぼろぼろ涙をこぼす人、失神する人、病が治った人などをこの目にしました。
 その集会場で何かが起こったのです。私は霊磁力がその集会場に異常な高さで充満していたのだと考えています。
 その霊磁力はどこからきたのか?
霊性の高い牧師を中心に、その場に居合わせたキリスト教徒の体に宿っていたイエスへの信仰心がそれをなさせたのでしょう。
 イエスの霊がそこにはいたはずです。
この世に生まれ、罪人のために十字架にかかった史実は無いはずなのに。
 イエスの存在が無くても、それを信じる人が多ければ、信仰が高ければ、存在したと同じことになるのです。
イメージそのものを核とした、巨大な霊磁力、それがキリスト教であると思います。
そしてこれは、他の宗教にも共通することだと考えます。
信仰あるところ、霊磁体が成長し、神となるのです。

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